悲しいかな悲しいかな
2007/07/31(Tue) 15:34:12
最近英語能力の低下が著しい.気づけば留学生との会話が単語や単文ばっかり.先ほど受けてきた客員教授の授業もあんまり内容が入ってこない.大学院試験前とか,去年海外インターン行く前のほうがまだマシだ.もう2年はTOEICを受けていないけど,恐らくは600切ってんじゃないかな…それが恐ろしくて受ける勇気が出てこねぇ…忙しいから英語を勉強する時間が取れないってのは嘘だ.確かに修士論文の方向性が見えない中英語まで手を出すことは大変だ.つっても朝11時に学校に来て,マメにブログを更新し,夕方早く帰ってバイト.そしてバイト後にはトレーニングをしながら報道ステーションとニュース23を見て寝る毎日.社会人になって間違いなくこんなに暇な時間が持てるわけがねぇ.ってことは今の制約条件の中でも,毎日多少時間をとって英語を勉強することくらいできるはず.つまりは全てにおいて中途半端な現状を英語学習に対するモチベーションの面でもそのまま引きずってるわけだ.更に何とか最小限の努力で最大限のアウトプットが出ないかと考えてしまう根っからの「効率性」根性である.そして昔からこうと決めたことが続かない.飽きっぽい.
海外事業が少ない企業に就職したってのもこのモチベーションの低下に寄与する部分が大きいように思う.どちらかと言うと地域密着タイプのコンサルだから英語はほとんど必要とされないらしい.しかしそれならばオレは何のために英語を習得せんとしているのか?そもそもオレの人生において今後,英語の必要性はあるのか?とりわけ海外事業に携わりたいわけでもない.外国人との関わりが大きい仕事に就くわけでもない.間違いなくこの「国際協力研究科」に属している今の環境が,オレの人生単位で見ても,最も英語と関わってる時期だと思う.つまりは卒業したら英語に対する必要性が薄まるのは間違いないわけで.英語がエンジニアにとって能力でなくツールとなっている現状には納得がいく.しかし,オレにとってそのツールを使用できる瞬間ってのはこの先どのくらいあるのだろうか?
最近考えるのだが,英語と言うものは俺にとって,技術者に求められる必須ツールとしての位置づけではなく,「英語が喋れればかっこいいな」という程度の,人生の質をちょっと高める程度の存在なのかもしれない.それなら何となく納得がいく.英語は元々外面ばかりに目がいく俺の性格に合致させると,アクセサリーのようなもの,つまりはオプション.麻雀で言うところのドラのようなものなのかもしれない.だから,必要性に迫られていること,または自分が相当楽しいと思ってやること以外は持続しない俺の性格から考えると,大学院生活も大詰めにさしかかった今の状況では「英語能力の向上」の優先順位は恐らく「就職してからの激務に耐えるため,体を鍛えて体重を60kg以上に戻す」よりも低いのだろうね.自己完結.





