自己紹介詳細
2007/06/07(Thu) 22:30:43
ヨシノダイスケヨシノダイスケ(1983年8月12日 - )は、広島県広島市出身の某建設コンサルタント社員。非営利集団「青しろくま団」団長。血液型はA型。身長181cm、体重60kg、B90cm W68cm H85cm S29.5cm。
趣味は読書、自転車、論文投稿。特技は水泳、走幅跳。
来歴
- 生まれは島根県益田市。生まれて数ヶ月で広島県広島市に移る。以後、ずっと同地で育つ。
- 5歳から水泳を始める。その後中学卒業まで続ける。得意種目はバタフライ。水泳をやめて何年も経つが、イルカのようなバタフライは未だ健在。
- 幼稚園では性格が合う友人が居らず、かなりの時間を一人で過ごしており、親や先生方を不安にさせた。
- 幼稚園の教訓をもとに、小学校では社交的な性格を貫こうと決心したものの、慣れない生活は苦痛であり、小学2年次にそれを断念。それまでは学級委員を進んでやるような活発な子供だったが、3年次以降は表立つことが無いよう、できるだけ影を潜めて生活しはじめる。
- 1996年、中学校は地元の公立校に進学。ちなみに女優綾瀬はるかさんが同校出身で1つ下の学年(ちなみに綾瀬さんの兄と同学年)。中学に入ったらバスケ部に入る予定だったが、当時一緒に入る予定だった友人と険悪な仲になり、結局陸上部に入る。
- 中学入学当時の陸上部は「缶蹴り部」または「バッタ取り部」と呼ばれており、練習らしい練習は全くしていなかった。
- 中学2年次に陸上部の顧問の先生が変わる。超強豪中学校から赴任してきたため、練習内容が一変する。ちなみに先生が変わったその日にみんなの前でグーで殴られるという貴重な経験をする。(殴られた理由は遅刻したため)
- 1998年(中学3年次)かつてないモテ期に突入。バレンタインデーには半端でない量のチョコレートを貰う。しかし人気があったのは下級生(1年生)から。同級生には根暗な性格がバレてしまっていたので全く相手にされず。
- 高校は広島の県立高校に進学。同校の出身芸能人は魚住りえ、戸田菜穂。
- 高校1年次、進学校に行ったおかげで授業の内容が全く分からなくなる。その後3年進学まで授業の内容はほとんどわからないまま進んだため、受験勉強時には大変な努力が必要とされた。
- 1999年、高校入学して初めての陸上の県大会で走幅跳6m45cmを記録、入賞する。中学時代はいくら頑張っても6mの大台に乗れなかったこともあり、嬉しかったが、未だに何が原因で記録が大幅に伸びたのかは不明。
- 陸上部時代の専門は走幅跳。最高記録は6m70cm。その他110mH、200m、400mなどでも県大会出場。リレーチームにも属しており、バトンの受け渡しが下手という理由で400mリレーではアンカーを務める。
- 2001年夏、最後の県大会で見ず知らずの男子生徒数名に一緒に写真を撮ってくれとせがまれる。これが女子生徒でなかったことが今でも残念で仕方ない。
- 2002年冬、大学入試直前、緊張するとお腹が痛くなる病にかかり、センター試験で爆砕。それまで志望していた大学に行けないことが判明しショックを受けるが、その後必死で勉強し。何とか某国立大学に合格。
- ちなみにセンター試験後の担任との個人面談の際に、「○○(←私の名前)志望大ムリ」というメモが担任のデスクに貼ってあり、大きくへこんだという経験を持つ。
- 2002年春に大学入学。大学ではタイミングを逃して結局6年間自宅から通学を続けることになってしまった。
- 大学入学と同時に某個別指導塾で塾講師のバイトを始める。大学卒業時まで続け、大学院でも継続しようと思っていたが、卒業旅行中にオーナーと教室長から理不尽な解雇宣告を突然受け、ついでに心無い言葉を投げかけた同僚のアホ講師と大喧嘩をしてしまい、辞める。「世の中には救いようもないどうしようもない人も居るんだ」ということを悟った瞬間である。彼らは未だに自分の人生の中の反面教師として首位に君臨している。失職後、友人にすぐに他の塾を紹介してもらい、よい待遇と人柄のよい塾長に恵まれ、大学院卒業時まで楽しく仕事をさせていただいた。
- 2006年、初海外は卒業旅行で中国へ。万里の長城が意外と急で驚くとともに、こんなものを作るなんてすげぇなぁ、中国人は実は世界で一番優れているのかもなと「ナチ寄りの中華思想」に染まる。
- 2006年夏、ベトナムの都市計画系コンサルタントで1ヶ月海外インターンシップを経験。ベトナムの飯のウマさと、途上国で働くことの大変さを知る。いつかは海外業務に携わってみたいという思いは今も変わらず持っている。
- 2008年度からは広島県内の建設コンサルタント会社で勤務。SCGE、産業連関分析など、今まで経験したことのなかった畑違いの経済分析を主に行っている。
- 2008年4月9日、入籍。相手は愉快な津軽人。
- 2008年8月、所属して2ヶ月で出向を命じられる。行先はなぜか商売敵のコンサルタント。
- 2009年4月、繁忙期を乗り越え、社会人生活2年目突入。ついでに結婚式を挙げる。大量の赤字が発生し、我が家は火の車状態に突入。
- 2009年5月、ハネムーン。愉快な津軽県民のたっての希望でポーランド8日間どっぷり。
人物
- 好きなスポーツは野球、F1、陸上競技、水泳、バスケットボール。野球は昔は結構得意だったが、極度の近視であるため、高校時代コンタクトに変えた瞬間に今までと距離感が全く違ってしまい、その結果極度のノーコンになる。その後は滅法苦手に。でも見るのは好き。強かろうが弱かろうが広島東洋カープを物心ついたころからずっと応援し続けている。
- 前述のとおり、極度の近視。裸眼では0.01をはるかに下回る。矯正視力に関しても、コンタクト「−9.5」でも両眼で0.7に届かない程度である。
- 好きな作家は安部公房、遠藤周作など。特に安部公房のシュールリアリズムの世界に快感を覚える。好きな作品はデビュー作「壁」、「カンガルー・ノート」。
- 好きな食べ物はお好み焼き、うどん、汁無し担々麺、ラムネ菓子など。うどんはかなりの確率で「醤油うどん」をオーダー。基本的に食物で嫌いなものはない。
- ものすごく強いと言うわけではないが酒好き。好きな酒はビール、ウィスキー、焼酎(芋)。ビールはキリン派。晩酌のペースは毎日ビール350×2本+水割り1杯程度。
- ガス入りの水(特にPerrier)とベトナムコーヒーをこよなく愛する。ベトナムコーヒーを日本に居ながら安価で手に入れるためにはどうしたら良いのかが最近の悩み。
- 自分の中で殿堂入りしている漫画は島耕作シリーズ(特に課長時代)、スラムダンク、ドラゴンボール、アドルフに告ぐ、ピューと吹くジャガー、こち亀、H×H。
- House Musicが好きで、Jazztronik、FreeTEMPO、Studio Apartment、DAISHI DANCEなどをよく聴く。
- House以外では、Ska、Jazz Hip-Hopもよく聞く。
- 好きな映画はLife is beautiful、ニューシネマパラダイス、アヒルと鴨のコインロッカー、メゾン・ド・ヒミコなど。映画酔いが激しく、ぐるぐる回る画面は大の苦手。だからアクション物には向いてない。
- 好きなジブリ映画は風の谷のナウシカ、天空の城ラピュタ、紅の豚、火垂るの墓。
- 好きなラジオ番組は「火曜JUNK 爆笑問題カーボーイ」。ただし広島ではTBSラジオが聴けないため、Podcast等で聴いている。
- お気に入りの芸能人は蒼井優。あとは昔から中谷美紀のファン。
- 尊敬する人は、太田光(爆笑問題)、室伏広治(mizuno/ハンマー投げ選手)、松下幸之助(松下電器産業創業者)、乙武洋匡(教員・ライター)、水谷修(夜回り先生)(元教員、児童福祉運動家)。
- 好きな言葉は、「努力すれば成功するとは限らない.しかし成功者はすべからく努力している」。
- 一見Sっぽいと言われることがあり、確かに人と打ち解けるまでは、毒を吐いたり、相当素っ気ない態度をとることもあるが、中身は極度のM。恐妻家。
- 「楽して生きる」「楽に考える」がモットー。楽天的な性格のため、根拠のない自信やそれに基づく計画で周りに迷惑をかけることも多い。
- 元陸上部で走りには自信があるが、「鬼ごっこ」には滅法弱い。
- 一部メンバーからは「団長」と呼ばれる。これは「青しろくま団」の団長であることを示唆する。
青しろくま団
青しろくま団の結成は2003年春(大学2年次)。同期の仲間と学部の新歓飲みに乱入した際、新入生が慣れ慣れしく「アンタ誰〜?」と話しかけてきた際に、しらふで「オレは青しろくま団のモンだ」と言い放ち、見ず知らずの新入生を軽くビビらせたことに端を発し、非営利集団「青しろくま団」が結成された。活動内容は
- シーズンごとの飲み会
- 年に何回かの旅行
- 時々やるカラオケ など
要は、仲良し集団である。
- 2006年6月1日、団長dice-K自身が管理人となり、mixi上に「広大工学部青しろくま団」のコミュニティーが創設された。非公開、承認制であるため、一般の方の目に留まることはないであろう。
- 2008年3月2-5日、団員12名で沖縄旅行へ。在学中最後の全員での旅行。
- 2009年4月25-26日、団員のほとんどが自身の結婚式に参列。素晴らしい式となった。
就職に伴い団員が全国に飛び立ったため、今後は団員同士が連絡を取り合い、小規模な会合を逐次とり行う予定である。
最終更新:2008年10月11日





